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東京地方裁判所 昭和27年(刑わ)949号 判決 1958年5月06日

被告人 茅野徳治 外一三名

主文

被告人野島満男を懲役一年に

被告人伊藤茂雄、同志賀隆清、同佐藤義隆を各懲役十月に

被告人原木謙治、同中村秀夫を各懲役八月に

被告人野島茂登一、同後藤清吉、同片倉賢治、同中村茂、同福本東一を各懲役四月に処する。

被告人野島満男に対し未決勾留日数中百日を右刑に算入する。

但し、この裁判確定の日から被告人伊藤茂雄、同志賀隆清、同佐藤義隆、同原木謙治、同中村秀夫については、いずれも三年間、同後藤清吉、同片倉賢治、同中村茂、同福本東一についてはいずれも二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人宮島幸次郎、同古川昭一に支給した分は被告人茅野徳治、同岡本光雄、同張替作三を除く全被告人の連帯負担とし、証人海老原敬子に支給した分は被告人野島満男、同野島茂登一、同伊藤茂雄の連帯負担とし、証人古郡隆男に支給した分は被告人伊藤茂雄の負担とし、証人坂牛哲、同榎本秋広に支給した分は被告人原木謙治の負担とし、証人徳富清に支給した分は被告人野島茂登一、同伊藤茂雄の連帯負担とし、証人根本光義、同伊沢茂、同新田清七、同三瓶節、同能代勲に支給した分は被告人志賀隆清、同佐藤義隆、同中村秀夫の連帯負担とし、証人宮川登、同鶴岡一男、同小野正幸に支給した分は被告人志賀隆清の負担とし、証人桜井俊英、同米山豊次、同江沢文雄に支給した分は被告人佐藤義隆の負担とし、証人油科好美、同関万治郎、同高橋久に支給した分は被告人中村秀夫の負担とし、証人阿久津武治、同長島兵二、同吉沢直治郎、同関泰司、同棚谷文作、同弓削静雄、同野下繁治、同高崎隆清、同植田重美、同山根秋人、同池岡一彦、同大森三郎、同桜井皓一、同小沢灌、同松原忠雄に支給した分は被告人野島満男、同後藤清吉、同片倉賢治、同中村茂、同福本東一の連帯負担とし、証人南雲今朝雄に支給した分は被告人伊藤茂雄、同志賀隆清、同佐藤義隆の連帯負担とし、証人熊谷磐に支給した分は被告人野島茂登一、同伊藤茂雄、同志賀隆清、同佐藤義隆、同中村秀夫の連帯負担とする。

本件公訴事実中、被告人野島満男、同原木謙治、同野島茂登一に対する昭和二十五年東京都条例第四十四号違反の点につき、同被告人等は無罪。

被告人茅野徳治、同岡本光雄、同張替作三は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

昭和二十七年二月二十一日午後五時三十分頃、東京都大田区糀谷四丁目二十二番地電業社前道路に、三百人位の労働者、民主青年団員等が反植民地闘争デモを標榜して赤旗、プラカード等を掲げて集合し、数名の者が米国の軍事基地化反対等の激励演説をなし、決議文の朗読をして気勢を揚げた後、隊伍を組んで同所を進発し労働歌を高唱しつつ行進に移つた。電業社前を出発後間もなく、右デモ隊は二隊に分かれ、その一隊は北上して森ヶ崎町方面を経て大田区大森九丁目二百六十三番地大森第四小学校西門附近に至つたところ、同デモ隊員が前記電業社前で同所を警邏勤務中の蒲田警察署巡査甲斐昭一(その後古川と改姓する。以下同じ。)を捉え、その拳銃を奪取した旨の急報を受け、同拳銃強奪犯人の逮捕、及び右集団示威行進が昭和二十五年東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例所定の許可を受けていないものであつたところから、その取締りのため追跡してきた蒲田警察署長宮島幸次郎の指揮する同署警察官三十二名位と遭遇し、デモ隊は警官隊に対し所携の目潰し等を投げつけて乱闘となり、一部の警察官に傷害を与えた後、同区京浜急行雷車梅ヶ丘駅方面に向い同所で解散し、他の一隊は西進して同区北糀谷町百二十六番地所在蒲田警察署北糀谷巡査派出所に向い、途中更に二隊に分れて同派出所を前後から喚声を揚げつつ挾撃して、同所に居合せた蒲田警察署巡査部長棚谷文作等四名の警察官に暴行脅迫を加え、同派出所の窓硝子、電話機等を破壊した後同じく梅ヶ丘駅方面に行進を続け、同所で解散したものである。(以上の総論的事実は後記各被告人につき認定した罪となるべき事実と関連する限度において之を認定する)

第一

(一)  被告人伊藤茂雄は、昭和二十七年二月二十一日前記電業社前において開催された反植民地闘争デモに参集した者であるが、同日午後五時三十分頃蒲田警察署巡査甲斐昭一が、自転車で警邏勤務のため電業社前に差し掛ると、いきなり後方より甲斐巡査の自転車を掴んで引留め、同巡査が自転車もろともその場に顛倒するや、その近くにいた氏名不詳の十数人のデモ参会者と共謀して同巡査の頭部、胸部等を殴打、足蹴りにして、その所持した拳銃を奪取した上、両手錠をかけて路上に座らせ、以てその公務の執行を妨害し、その際右暴行により同巡査に対し、加療約五週間を要する右手第三中手骨、肋骨骨折の傷害を与え、

(二)  被告人野島茂登一は、同年二月二十一日午後五時三十分頃電業社前で開催された反植民地闘争デモに参加した者であるが、前記の如く同所を警邏勤務中の巡査甲斐昭一が十数名のデモ隊員によつて殴打、暴行を加えられた上、手錠をかけて路上に坐らされていた処に近付き、所携のハンカチで同巡査に目隠しをして、職務活動の自由を束縛し、以て暴行を加えて、その公務の執行を妨害し、

(三)  被告人原木謙治は同年二月二十一日午後五時三十分頃前記電業社前で開催された反植民地闘争デモに参集していたところ、折から同所を通行中の池貝自動車株式会社警備係員坂牛哲(当四十三才)を警察官と誤認し、デモ参集者数名と共に「私服だ」と叫びながら、共同して同人の押していた自転車を足蹴りにしたり、之に投石したりして、そのスポーク十数本を外し、車輪をパンクさせる等して之を損壊し、

(四)  被告人野島満男は法令の除外事由がないのに、同年二月二十一日午後五時三十分頃、大田区糀谷四丁目二十二番地電業社前路上で前記の如く甲斐巡査から奪取したSW式拳銃一挺を海老原敬子から受取つて之を所持し、

第二、昭和二十七年二月二十一日被告人志賀隆清、同佐藤義隆、同中村秀夫等の属した前記反植民地闘争デモ行進の一隊は電業社前から赤旗を掲げ、労働歌を歌いながら、大森第四小学校方面に向つたのであるが、前記の如く甲斐巡査の拳銃強奪事件の急報に接した蒲田警察署長宮島幸次郎の率いる警察官三十二名が、乗用車一台、及びジープ一台に分乗して拳銃奪取犯人の逮捕と無許可集団行進の解散の目的で同警察署を発し、同日午後六時二十分頃、大森第四小学校の百五十米位手前で同デモ隊に追付いたところ、デモ隊員は口々に「敵が来た、やつつけろ、金筋を狙え、拳銃を奪え」など怒号しつつ、警官隊に対し予め紙袋に砂、唐辛子等を入れて用意してあつた目潰しや、小石を拾つて投げつけてきたので、宮島署長は、その当時の状況からして無許可集団行進の解散を決意し、口頭を以て「解散、解散」と叫んで警察官を指揮しつつ徒歩でデモ隊に追尾し、同区大森九丁目二百六十三番地大森第四小学校西門前に至つたところ、デモ隊は同所で向きを変えて警官隊と対峙し、なおも投石等を続けたため、警官隊は実力を以て解散を強行するに至つたものであるが、

(一)  被告人志賀隆清は同日午後六時三十分頃

(イ) 同小学校西門前で蒲田警察署長宮島幸次郎の命令により右の集団行進を解散せしめていた同署勤務巡査部長新田清七に対し、所携の目潰しを投げつけて暴行を加え、その公務の執行を妨害し、

(ロ) 右犯行を目撃した同署勤務巡査佐々木登(その後宮川と改姓する)、同鶴岡一男、小野正幸が公務執行妨害罪の現行犯人として被告人を逮捕しようとすると、その逮捕を免かれる目的を以て、右道路上で鶴岡巡査の顔面を殴打し、さらに同小学校西門前の海苔乾場で佐々木巡査の指に咬みつき、小野巡査の足を蹴るなどして暴行を加え、その公務の執行を妨害し、その際右暴行により佐々木巡査に全治一週間を要する左示指咬傷、小野巡査に全治一週間を要する左下腿部打撲傷を与え、

(二)  被告人佐藤義隆は同日午後六時三十分頃、

(イ) 前記海苔乾場で蒲田警察署長宮島幸次郎の命令により右の集団行進を解散せしめていた同署勤務巡査部長三瓶節の左手を竹棒を振上げて殴打して暴行を加え、右公務の執行を妨害し、その際右暴行によつて同人に対し全治六週間余を要する左手根骨亜骨折の傷害を与え、

(ロ) 右犯行を目撃し、被告人を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕しようとした、同署巡査桜井俊英、同米山豊次の両名に対し、右海苔乾場及び右小学校西門前路上において、逮捕を免かれる目的を以て顔面、腕、脚等を手拳で殴打し、足で蹴り、また桜井巡査の頭部を同小学校のコンクリート塀に打ちつけるなどして暴行を加え、その公務の執行を妨害し、その際右暴行によつて桜井巡査に全治二週間を要する右頬部及び左上膊部打撲傷、米山巡査に対し全治三週間を要する左拇指第二節中指環指手根部打撲傷を与え、

(ハ) さらに逮捕後被告人を同小学校前に停車していたジープに乗せ、蒲田警察署に引致しようとした同署巡査江沢文雄の左手に咬みつき暴行を加えて、同巡査の右公務の執行を妨害し、その際同巡査に全治一週間を要する左拇指根部咬傷を与え、

(三)  被告人中村秀夫は同日午後六時三十分頃、

(イ) 大森第四小学校前路上で蒲田警察署長宮島幸次郎の命令により右の集団行進を解散せしめていた同署勤務巡査油科好美に対し、予め携行していた目潰しを投げつけて暴行を加え、右公務の執行を妨害し、

(ロ) さらに、右公務執行妨害罪の現行犯人として油科巡査と同署勤務巡査関万治郎とが、被告人を同小学校前の海苔乾場に追込み、之を逮捕しようとすると、その逮捕を免かれる目的を以て両巡査の股、脚、左上膊部を足蹴りにして暴行を加え、その公務の執行を妨害し、

第三、

(一)  被告人後藤清吉、同片倉賢治、同中村茂、同福本東一は昭和二十七年二月二十一日午後五時三十分頃、電業社前で開かれた前記反植民地闘争デモに参加し、隊伍を組んで同所を出発し、大田区北糀谷百二十六番地蒲田警察署北糀谷巡査派出所に向つて新呑川の南側を西進し、午後六時十分頃同派出所(新呑川に架した呑川新橋の北側に位置する)から約百七十米手前の東橋附近に至つたところ、同デモ隊を指揮していた荒木寿から同巡査派出所襲撃の計画を告げられ、その後右デモ隊は二隊に分かれて被告人等四名の属する一隊は東橋を渡つて新呑川の北側を巡査派出所に向つて西進し、他の一隊はそのまま新呑川の南側を派出所に向つて西進を続けた。被告人等四名はこの時始めて巡査派出所襲撃の意図を知り、事の意外なのに驚いたが、事ここに至つては行動を共にするも己むなしと決意し、行進の隊列に加わつたまま前進したが、被告人等を含む一隊が同巡査派出所の背後に迫つたとき、同隊の指揮者である荒木寿の「突撃」の号令により新呑川を挾んだ二隊は相呼応して喚声を挙げつつ同派出所をその前後から挾撃し、同所に勤務中の蒲田警察署巡査部長棚谷文作等四名の警察官に対し、多衆の威力を示しつつ「やつつけてしまえ、拳銃を奪え」等怒号、脅迫した上、逃げおくれた巡査弓削静雄を殴打し、さらに同派出所内に目潰し、釘を打ちつけた板及び煉瓦破片等を投げつけて同派出所の窓硝子数枚を破損し、備付けの電話機を破壊して之を使用不能ならしめ(但し同被告人等は殴打暴行破壊の行為にはでていない)、

(二)  被告人野島満男は、同日電業社前を進発したデモ隊に加わり、新呑川の南側を北糀谷巡査派出所に向い行進した者であるが、呑川新橋の南詰近くに至つたとき、川の北側を行進中であつた荒木寿の「突撃」の号令により、同被告人を含む一隊は喚声を挙げつつ呑川新橋を駈足で渡つて同派出所の前面から突進し、新呑川の北側を行進してきた一隊と共に之を挾撃し、同派出所に勤務中の巡査部長棚谷文作等四名の警察官に対し、多衆の威力を示しつつ「やつつけてしまえ、拳銃を奪え」など怒号、脅迫した上、巡査弓削静雄を殴打し、同派出所内に目潰し、釘を打ちつけた板等を投げつけたが、被告人自身も砥石を投げつけるなどして、同派出所の窓硝子数枚を破損し、同所備付けの電話機を破壊して之を使用不能ならしめ、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人中村秀夫、同佐藤義隆、同志賀隆清の本件各犯行は、判示日時に大森第四小学校西門附近において蒲田警察署々長宮島幸次郎他同署警察官が、被告人等百数十名の集団に対し、昭和二十五年東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例に違反する無許可集団示威行進として解散せしめつつあつた際、右警察官等に対し夫々暴行をなしたものであるところ、右東京都条例は憲法に違反する無効のものであり、従つて右条例違反を理由とする警察官等の解散命令行為も違法な職務行為であるから、これについて公務執行妨害罪の成立する謂われはなく、従つてまた被告人等の右暴行々為は正当防衛を以て論ずべきである旨主張するので検討すると証人宮島幸次郎は、同人が蒲田警察署長として被告人等百数十名の行動を右東京都条例違反の無許可集団示威行進と判断し、部下警察官三十二名を指揮して解散を命じその執行に当らせた旨証言し、また後記のように右東京都条例は違憲と解すべきものであることは弁護人所論のとおりである。しかし更に検討すると、証人宮島幸次郎、同根本光義、同新田清七の前掲各証言当裁判所の検証調書を綜合すれば、右宮島署長は同日午後五時四十五分頃判示甲斐昭一巡査に対する拳銃強奪事件の報告を受け、急遽部下警察官三十二名を伴い自動車二台に分乗し右の犯人逮捕と無許可集団行進の解散の目的で蒲田警察署を出動し、午後六時二十分頃大森第四小学校の手前百五十米の十字路附近で被告人等の集団を発見したので直ちに下車し右集団を追つて同十字路を右に折れた地点で同集団後尾に対し同署長が解散と叫んだところ、これと殆んど前後して同集団の多数の者が警官隊の方に向きを変えてこれに攻撃を加える態勢を示し、判示のように、「敵が来たやつつけろ、金筋をねらえ、拳銃を奪え」等の暴言をはきながら石や目つぶしを投げ始め、警察官等は一時後退するのやむなきに至る程度であつたため、同署長は右集団を実力によつて解散させようと決意するに至つたものであることが明らかであるから、右の客観的な状況に基き判断すれば、被告人等の集団は前示のように紙袋に砂、唐辛子を入れた目潰しを予め用意携行しかつ集合の当初から警察官に対し攻撃を加え拳銃を強奪する等の犯罪行為を犯したものを構成員とし、その後も引続き同様の暴挙に出でる危険を包蔵し、これを放置すれば不測の事態を惹起しひいて警察官、参加者その他一般通行人の身体、財産に危険が及び急を要する場合であつたことが明白であり、即ち警察官等職務執行法第五条に従い警察官は右集団行動の継続を制止しうる状況にあつたことを認めることができる。そして公務執行妨害罪が成立するためには、その妨害が公務員の適法なる職務の執行に当つて行われることを要するが、この場合右の職務行為が当該公務員の抽象的並びに具体的な職務権限に属し、客観的に適法性の要件を具備する限り、仮に当該公務員が具体的事実に対する法規の解釈を誤り適用すべからざる法規を適用したとしても、それが職権の濫用にわたらない限り、その主観的な錯誤は右公務の適法性に影響を与えるものと解すべきではないから、前示蒲田警察署長及び警察官のとつた解散の措置は、主観的には前記無効の東京都条例に基くものと解していたとしても、警察官等職務執行法第五条による制止行為として適法であつたと認むべきであり、これに対する被告人等の本件各暴行々為が公務執行妨害罪を構成することは当然であり、従つて右公務執行妨害罪の現行犯として同被告人等を逮捕する警察官の行為も適法であり、これに対する暴行も亦別個の公務執行妨害罪を構成することは謂うまでもない。そして仮に同被告人等が警察官の前記解散行為を違法なものと信じ、これに対する抵抗が許されるものと誤解して本件暴行に出でたとしても、右は本来許されない行為を許された行為と誤解して行動したもので、しかも敍上の事情の下ではかく信ずるにつき相当な事由があつたとは認められないから所謂法律の錯誤の場合に当るに過ぎず、右犯罪の成立を何等阻却するものではない。よつて弁護人の前示主張は何れも採用することはできない。

(本件公訴事実中無罪の部分の説示)

本件公訴事実中被告人野島満男、同原木謙治、同野島茂登一に対する前記有罪と認めた以外の部分及び被告人茅野徳治、同岡本光雄、同張替作三に対する部分の要旨は、

第一、被告人野島満男、同原木謙治、同野島茂登一、同茅野徳治は昭和二十七年二月二十一日午後五時三十分頃より同日午後六時四十五分頃までの間約三百名の者が東京都公安委員会の許可を受けないで東京都大田区糀谷町四丁目二十二番地電業社附近より同区大森七丁目京浜電鉄梅屋敷駅附近に至るまで反植民地闘争デモと称する集団示威行進を行つた際、被告人野島満男において右集団発進に当り決議文を朗読し、また一隊列の隊長となつてこれを指揮し、被告人原木謙治においてその実行の謀議に参画し、右集団の発進に当り激励演説をなし、被告人野島茂登一において前夜数名の者と共にデモ隊の編成、参列者の位置、責任者の選出等を協議したうえ指導部一員として終始右集団示威行進に加り、被告人茅野徳治において実行の謀議に参画し、古郡隆男等を右行進に勧誘参加させ、かつ自ら右行進の先頭に立ち或いはビラを撒布しつつ行進するなどし、

以て夫々右集団示威行進の指導をなし、

第二、被告人岡本光雄、同張替作三は、同日午後五時三十分頃前示反植民地闘争デモと称する無許可集団示威行進に参加するため東京都大田区糀谷町四丁目二十二番地先道路に集合したところ、蒲田警察署勤務巡査甲斐昭一が警邏のため同所に来合わせるや、伊藤茂雄外十数名と共謀の上矢庭に同巡査を突き倒し殴り蹴り踏みつけ、更に両手に手錠を掛ける等の暴行を加えて同巡査の右公務の執行を妨害し、その際右暴行に因り同巡査に対し加療約五週間を要する右中手骨、肋骨々折の傷害を負わしめたものであると謂うのである。

そこで、まず被告人野島満男、同原木謙治、同野島茂登一、同茅野徳治に対する右の第一の公訴事実について審究することとするが、

検察官は、右は東京都公安委員会の許可なく行われる集団行進及び集団示威運動を処罰の対象とする昭和二十五年七月三日東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第一条、第五条に該当するものとし、各被告人及び弁護人は右条例が憲法第二十一条に違反し無効である旨主張するので本件条例の憲法上の効力について検討すると、憲法第二十一条の保障する言論、出版その他一切の表現の自由は、基本的人権の一として憲法の上でも、侵すことのできない永久の権利と規定され、法律によつても妄りに制限され得ないものであることは改めて謂うまでもないところであるが、しかしこれとて絶対無制限のものではない。まず憲法第十二条の規定の趣旨からも窺われるように、表現の自由もこれを濫用することの許されないことはもとより、公共の福祉のために利用されなければならないものであつて、右の自由権それ自体の内に制約の存することが明らかであり、従つて濫用にわたる場合は憲法上の保障を受け得ないものとして当然これを制限することができるが、更に、表現の自由はその本質上専ら他人の存在を前提とし、その手段方法の如何によつては他人の基本的人権と衝突する可能性を含んでいるから、かかる各人の基本的人権相互の衝突の可能性を調整する原理としての公共の福祉の見地からの制約を免れないものであつて、憲法第十三条の規定に照し右の観点からこれを規制することも亦可能としなければならない。しかし表現の自由は民主々義実現の根幹をなすものであり基本的人権のうちで最も重要なものの一つであるから、右の制限ないし規制は、真にやむを得ない場合において必要最少の限度で合理的明確な基準のもとで画一的かつ人的無差別の原則に従いなされなければならない。そして右の制限ないし規制を刑罰を以て強制する法令に対しては、被告人は、被告人がその法令の規定する許可等の規制手続に従い許可申請等をなしたのに不許可とせられたがそのままこれらの行動に出でた結果起訴され、その際行政官庁の右の法令の当該具体的案件に対する適用が憲法に違反するとする場合のみならず、若し被告人がその法令の要求する規制手続に従い許可申請等をなせば、許可が与えられ具体的には違反の問題を生じなかつたかも知れないのに、右許可申請等を行わずに行動した結果起訴された場合においても右法令の文言自体について憲法上の効力を争うことができるものと解する。蓋し前示のように表現の自由は最も根幹的な基本的人権であるから、これに対する不当な制限は特に速かに除去されなければならないものであるところ、かかる制限を内容とする法令はとかくこれを改める方途が制限され勝ちなものであり、それ自体不可変のものとなる傾向を有するものであつて、かかる永続化を防止し、右の不当な制限を速かに排除するためには、最初にその法令が適用された者に対し、その者がその法令の要求する許可申請等の規制手続に従つたかどうかを顧慮することなく、法文自体からその憲法上の効力を争い得る地位を与える必要があるからである。

ところで本件に関連し、一般に集団行進又は集団示威運動の意味について考えて見ると、集団行進とは特定の目的すなわち参加者の統一的意思のもとに一定の計画に従つて行われる多数人の移動を意味するから、更に右の統一的意思のうちに、これを参加者以外の者に認識させる意図を含むか否かによつて集団行進は一定の意思の発表を目的とするものと然らざるものとに区別することができ、又集団示威運動とは、一定の計画に従つて人の意思を制圧しようとする特定の目的(統一的意思)を、参加者以外の者に認識させるために行われる多数人の一切の活動を意味する。従つて一定の意思の発表を意図する集団行進及びすべての集団示威運動(以下これらの行動と略称する)は思想表現の一形態として前述の表現の自由の保障を受けることは明らかであるから、これらの行動につき、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法により、これを濫用するものでないかぎり、地方自治体が条例において一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法の趣旨に反して許されないものと解せられる。蓋しおよそ許可とは全面的な禁止を前提とし、特定の場合にその禁止を解除することを意味するからである。しかしこれらの行動についても前示した公共の福祉の見地から必要最少限度の範囲内で前記の基準に従い規制することがやむを得ない場合のあることも明白であるから、これらの行動が参加者以外の公衆の基本的人権と衝突する可能性を防止するため、特定の場所又は方法につき合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめて、このような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これを以て直ちに国民の表現の自由を不当に制限するものと解することはできない。従つて例えば、これらの行動のうち道路公園その他公共の場所で行われるものは、これらの場所を一般公衆が快的かつ便宜に、平和と秩序を以て使用すべき権利と衝突し、或いはこれらの行動が附近住民の静穏に生活すべき権利と抵触する可能性のあることに着目し、これを調整することを目的とし、そのために右の基準を明示してこれらの行動を規制する条例を制定することも亦憲法上是認され得るものと謂わなければならない。

そこで本件の昭和二十五年七月三日東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に本件条例と略称する)について考究してみると、その第一条は「道路その他公共の場所で集会若しくは集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、公安委員会の許可を受けなければならない」と規定するから本件条例は規制の対象として道路その他公共の場所で行われる集会若しくは集団行進と場所のいかんを問わない集団示威運動とを定め、その規制の方法として公安委員会による許可制を採用していることは明らかである。しかし本件条例は規制対象について第一条但書にその除外例を規定し、また許可制に関しては第二条において許可申請は集会、集団行進又は集団示威運動の日時の七十二時間前までに管轄警察署を経由して公安委員会に所定の申請書を提出して行うとしながら、第三条は公安委員会は右の申請について集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は許可しなければならない(第一項)と定め、許可制をとりながら許可を原則とし、なお、公安委員会が不許可の処分をした場合にはその旨を詳細な理由をつけてすみやかにその公安委員会の属する地の議会に報告しなければならない(第二項)とするほか、第六条に、この条例の各規定は第一条に定める集会、集団行進又は集団示威運動以外に集会を行う権利を禁止し、若しくは制限し又は集会、政治運動を監督し若しくはプラカード、出版物その他の文書図書を検閲する権限を公安委員会、警察官、警察吏員、警察職員又はその他の都吏員、区、市、町、村の吏員若しくは職員に与えるものと解釈してはならない旨、第七条に、この条例の各規定は公務員の選挙に関する法律に矛盾し又は選挙運動中における政治集会若しくは演説の事前の届出を必要ならしめるものと解釈してはならない旨の運用についての各規定を設けているから、これらの諸規定をも考慮しながら本件条例の憲法上の効力について検討を加えると、

(一)  本件条例の規制対象は前示のように「道路その他公共の場所における集会若しくは集団行進」及び「場所のいかんを問わない集団示威運動」とされるのであるが、同条例第一条但書は、一、学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育、競技、二、通常の冠婚葬祭等慣例による行事について除外例を定めているから、本件条例の規制の対象とするもののうち集団行進については場所的に道路その他公共の場所で行われるものに限られ、また方法としても右の除外例に掲げられたものを除いたもののみとされ、集団示威運動については場所のいかんを問わないとされ、また方法としては右と同様の制限を受けるとされて、集団行進、集団示威運動ともに場所又は方法について限定されているように見受けられるのである。しかし前示のように同条例第一条但書が除外例として掲げるものは、なるほど集団行進又は集団示威運動と外形的に類似する集団的行動ではあるけれども、いずれも一定の意思ないし思想の表現を目的とするものではなく言論の自由とは全く無関係のものであることが明らかである。従つて常に一定の思想表現を目的とするものである集団示威運動については同条例第一条但書の規定は何等規制対象の範囲を限定した除外例となりえないものであるばかりでなく、集団行進については、かかる除外例を規定することによつて、まさに一定の意思ないし思想表現を目的とする集団行進のみが同条例第一条本文の規制の対象とされているものと解せざるを得ないのである。しかも、およそ一定の意思ないし思想表現を目的とする集団行進の大部分のものは示威的要素を含み、その殆どすべてのものは道路その他公共の場所で行われることを考えるならば、本件条例が前示のように集団行進について道路その他公共の場所で行われるものと定める場所的制限も規制対象の範囲の限定とするには広範に過ぎ、殆ど無制限に近いものと謂わざるを得ない。そして集団行進、集団示威運動のいずれについても、これを規制するについて他にその目的、手段、参加人員等の方法に関して何等の限定も存しないのであるから、本件条例は表現の自由の保障を受くべき集団行進、集団示威運動につきいずれも許可制をもつて、前者については、一般的制限に近い程度に、後者については一般的にこれを制限するものと解せざるを得ないのである。

(二)  そこで次に本件条例の許可制の本質について考えて見ると、同条例第二条の規定する許可申請手続は、比較的簡単であつて申請者に過大な負担をかけるものと認められないのみならず前示のように、同条例第三条第一項但書は公安委員会に対し右申請については原則としてこれを許可すべきことを義務付けているから、同条例に所謂「許可」とは、行政法上通常使用されるように一般的禁止を前提として特定の場合にこれを解除する趣旨ではなく、許可申請に対し公安委員会がその適否を確認する行為に過ぎず、実質上は「届出」と同一とも見受けられるのである。しかし更に仔細に検討すると、本件条例は第三条第二項に右の許可申請に対し公安委員会はこれを許可した場合に特別の事由のない限り行動実施の日時の二十四時間前までに申請書の一通に許可する旨を記入して主催者又は連絡責任者に交付しなければならないと規定するのみで、同委員会が右の条項に従わなかつた場合の救済及び同委員会が許可申請に対して不許可処分をした場合の主催者に対する通知義務に関しては何等の規定をも設けていないのであつて、しかも行政訴訟における抗告訴訟は行政処分の存在とその了知とを前提とするから、本件条例のもとでは公安委員会が提出された許可申請に対し、特別の事情のあることを理由に許可の通知を怠り、或いは処分そのものを留保する限り、行動実施前二十四時間を経過した後であつても抗告訴訟の途がなく、仮に行動実施の直前に許可と決定され主催者等に通知されたとしても、主催者は準備不足のため実施不能に陥り不許可処分を受けたと同様の事態に立ち至ることがありうるであろうし、仮に公安委員会が行動実施日時まで許否を決せず放置した場合にも行動実施は禁止されこれを強行すれば無許可の行動として取締の対象となることを免れないのであり、また、右の二十四時間の時限の前後を問わず不許可となつた場合にも主催者はその通知を受けず、従つてその処分を了知し得ないため同様抗告訴訟による救済を求めることができないのである。本件条例における右のような欠陥は、例えば昭和二十四年新潟県条例第四号行列行進集団示威運動に関する条例第四条が、公安委員会が許可申請に対し許否を決すべき時限を無条件に行動開始日時の二十四時間前と限定しそれまでに条件を附し、又は許可を与えない旨の意思表示(同年新潟県公安委員会訓第一号行列行進集団示威運動に関する条例施行手続第六条により、これらの通知は行列、行進又は集団示威運動開始の二十四時間前までに申請人に交付しなければならないとされる)をしない時は許可のあつたものとして行動することができる旨を明示するものと対比すれば、極めて明白であつて、これを単なる立法技術の巧拙の問題として看過することはできない。ことに前示のとおり公安委員会が許可申請に対し行動実施日時まで許否を決せずに放置した場合にも行動の実施が禁止されこれを強行すれば主催者、指導者又は煽動者は処罰の対象となり得ることを考えれば、前記規定の不備は本件条例の許可制の本質を考察するうえに重大な関係を有することは明白であり、右の許可制は単なる確認のための規制に止らず、寧ろ前記行動の一般的禁止を前提とする規制方式と解すべき余地を多分に包蔵するものと解せざるを得ないのである。

(三)  更に、本件条例が前記行動の許否を決すべき基準として定めるところを検討すると前示のとおり同条例第三条第一項は、公安委員会は許可申請に対し、これらの行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならないと規定するから、許否決定の基準は、公共の安寧保持のための明白かつ直接の危険の存在の有無であることが明らかである。そして表現の自由も前示のような公共の福祉の見地から最少限度の必要やむを得ない場合には規制され得るものであり、かかる場合の抽象的な一つの基準として、「一般公衆の権利に対する明白かつ直接(現在)の危険の存在」という観念も是認されるから、本件条例の右の許否決定基準は妥当なもののようにも考えられるのである。しかし「公共の安寧」という概念も甚だ広範かつ莫然とした抽象的なものであつて、若しこれが広く解釈されるならば、これを保持する上にいかに明白かつ直接の危険のある場合という法文上の限定を設けたとしても、その限定は全く意味のないものと謂うのほかはない。もつとも既に説示したとおり、集団行進、集団示威運動は殆ど常に道路、公園その他公共の場所で行われ、またその際附近の静穏を害する虞もあるから、道路交通、公園等公共の場所の管理ないし静穏保持の観点から一般公衆の権利との調整を目的とし、これを明示したうえで右のような抽象的な基準を掲げるのであれば、これらの行動に対する規制も是認されるものと解せられるのであるが、しかし本件条例にはこの点を明確にする規定がないばかりでなく、却つて本件条例をはじめ当時各地方自治体において相次いで制定された同種の所謂公安条例は平和条約発効前の占領時代の制定にかかるものであり、その制定の動機が、例えば昭和二十五年京都市条例第六十二号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例前文に「この条例は占領政策に違反する行為又は社会不安をじよう成する行為を未然に防止しようとする」ものである旨明示されているところからも窺い得るように、占領軍若しくは占領政策に反対しこれを誹謗する意図を表明する手段として行われるこれらの行動を禁止することをその目的の一つとしていたことを考慮に入れるならば、右の「公共の安寧」という概念は極めて伸縮性に富み安易に解釈される危険があつたものと謂わなければならない。もとより条例の解釈も法令一般についてと同様それが制定施行された後は、立案者の主観的意図を離れて合理的な意味内容を探求するよう行われなければならないことは謂うまでもないが、いま、右の制定の動機を除外して考察しても右の危険性を取り除くことはできない。蓋し前示のとおり本件条例が規制の対象とするところは集団的行動のうち、まさに思想表現を目的とする集団行進、集団示威運動のみに帰着するのであるが、本来この種の行進ないし示威運動は、多数派である時の権力者と相対立する少数派が、その包懐する思想、主義、主張について社会一般の関心に訴える手段として行われて来たものであることを併せ考えれば、本件条例は前に説明したような規制範囲の限定方法自体によつて、既に右の行動を危険視していることを窺わせるのであり、このような規定のもとで、「われわれと意見を同じくする人々のための自由な思想ではなく、われわれが嫌悪する思想のための自由」としての表現の自由が果して国政上最大の尊重を受け得るか否かは極めて疑わしく、それが具体化されるこれら行動の許否決定に際し、その基準である「公共の安寧」という概念が、公安委員会において常に厳格に解釈されるとする保証がないからである。そしてこのことは、許否決定における公安委員会に対する不信、信を云為するものではなく、憲法の鎖によつて固く保障されている国民の基本的人権の行使が一行政機関の判断によつて左右さるべきではないことを強調するに外ならない。すなわち本件条例において前示行動のための許可申請に対し許否を決定するについて判断すべき「公共の安寧を保持する上に直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合」か否かの基準はその規定の形式においてはまことに整つてはいるけれども、本件条例の全体系に則して考究すれば、同条例第六条第七条の運用規定を考慮に入れてもなお具体性を欠き不明確の譏りを免れないのである。

以上説示したところを綜合すれば、本件条例は憲法上表現の自由の保障を受くべき集団行進、集団示威運動につき殆ど一般的にこれを禁止し、その実施を具体性を欠き不明確な基準に従う公安委員会の許可にかからしめ、かつ公安委員会の恣意的な怠慢ないし不許可処分に対しこれが実施を可能ならしめるための救済方法を与えていないことが明らかであつて、このような規制方法は憲法上特に重要視さるべき表現の自由に対するものとして必要やむを得ない限度を超えたものと謂うべきであり従つて本件条例が第五条において同第一条所定の公安委員会の許可なくして行われた集団行進、集団示威運動の主催者、指導者又は煽動者を処罰する旨を規定する限りにおいて、同条例は憲法に違反するものと解せざるを得ない。

因みに、本件条例を前記のように解した場合において、前示の行動が、例えば一部破壊的分子の煽動等により当初から公安を害し一般公衆に対し直接危害を及ぼす危険が合理的に判断して明らかである場合にも、事前に不許可処分によりこれを禁止制限し得ないことは不都合であるとの反論が考えられるのであるが、このような場合は、まさに自由権の濫用に該当し、本来許可申請の対象となり得ないものであつて、警察官職務執行法第五条により警察官等において関係者に必要な警告を発し、或いはこれを制止することができるのであり、またこれら行動の参加者が多数官公庁の構内に集りその執務の妨害となる程度に達すればこれを退去せしめることができ、その違反は刑法第百三十条によつて取締ることができ、更にこれら行動が表現の自由の保障を受くべき正当な集団運動を装う場合にも既に述べた公共の福祉による調整の観点に立つて、道路交通秩序維持の目的のため道路交通取締法(同法第二十六条、同法施行令第六十九条、東京都交通取締規則第五十七条第六号ないし第十五号、なお同規則同条は道路において行われる行為のうち当該管轄警察署長の許可を受くべき場合を定めるものであるが、特に第七号、道路で競技、おどり、仮装行列、街頭行進その他の催しものをすること、第十号諸車又は道路上の施設に、拡声器、ラヂオ受信機、テレビジョン受像機、映写機等を備えつけ放送又は映写をすること、第十二号道路に宣伝物、印刷物その他の物を撒布し、又はこれに類する行為をすること、第十三号演説、演芸、奏楽、放送、映写その他の方法により道路に人寄せをすること、第十五号、そのほか交通の妨害となり又は交通の危険を生ぜさせるような行為をすること等の規定を参照)に基き罰則を伴う許可制によつてこれを規制し、なお一般公衆の静穏な生活を保持する目的のため昭和二十九年東京都条例第一号騒音防止に関する条例(同年東京都規則第五号騒音防止に関する条例施行規則)によつて騒音を発する者等に対し警告しまたは制止し、これに従わないものを罰則を以て強制することは憲法上も許されるものと解すべきことは既に説明したところから明らかであり、また以上のいずれの場合においても警告、制止を行う警察官等の職務行為に対する暴行脅迫は公務執行妨害罪を構成することは当然であるから現行法による秩序維持の手段に欠けるところはなく、なお、集団運動に対する警備の特殊性に鑑み、ことに不測の事態の発生に伴う混乱に対処するため綜合的警備計画を立てる必要があることを十分に考慮するとしてもその手段としては警察当局はこれら行動について単なる届出制を以てこれを確認すれば足り、かつ、かかる制度の下にあつても、前示濫用の場合にこれらの行動を制止ないし解散させることのできることは謂うまでもないから一般的な許可制によつて規制するまでのこともないと解せられるのである。

以上説示のとおりであるから、被告人野島満男、同原木謙治、同野島茂登一、同茅野徳治に対する本件条例違反に関する前記第一の公訴事実は罪とならないものとして刑事訴訟法第三百三十六条前段に従い同被告人等に対し無罪の言渡をなすべきものである。

次に被告人岡本光雄、同張替作三に対する前記第二の公訴事実につき証拠を検討すると、

昭和二十七年二月二十一日午後五時三十分頃、大田区糀谷町四丁目二十二番地路上で、同所を警邏勤務中の巡査甲斐昭一に対し、折柄同所で行われた反植民地闘争デモに参加した伊藤茂雄等十数名の者が殴る蹴る等の暴行を加え、その公務の執行を妨害し、判示の如き傷害を与えたことは既に認定した通りである。

しかして、当公廷の証人徳富清、同池岡一彦、同古川昭一(改姓前甲斐昭一)の各証言中には、被告人岡本も右暴行者中にいた旨、或は暴行の現場近くにいたのを目撃した旨の供述が存するからこれらの証拠を綜合すると被告人岡本の犯行を推認しうるやに見受けられるのであるが、右各証言を仔細に検討してみると、証人徳富清は当公廷において、検察官の主尋問に対し「自分は電業社前の都営住宅に居住する者であるが、当日子供から電業社前で何か騒動があると聞き、直に電業社前に赴いたところ、百五十人前後の人々が赤旗を立てて集合し、勤労者の祭典に相応しい行事をしていたが、その傍で一人の警官が十人前後の人々に取巻かれて乱暴されているのを目撃した、そしてその暴行者の中に被告人岡本がいた、」旨及び「自分はその前年の夏頃、自宅の近所で行われた子供の幻燈会の折に被告人岡本を見かけたような記憶がするが、勿論本件当日までその姓名等は知らなかつた、」旨証言しながら、弁護人並に被告人岡本から反対尋問を受けると、「本件電業社前の集会で被告人岡本らしい人を見掛けたが、検察官の尋問に際して、同被告人が警官に対して暴行を加えていた人数の中にいた、と証言したのは思い違いである、」と前証言を翻えし、なお反対尋問に対し「自分は幻燈会で見かけた額の広い人がその集会の時いたような気がしていたところ、本件につき蒲田警察署で参考人として取調べを受けた時、同じく同署で取調べを受けた近所の小学校四年生位の少女から、取調官に示された容疑者の写真(被告人岡本の写真を含む数枚の写真)中に、幻燈に来ていた小父さんがいた、と言うのを聞き、私の前記の感じを一層強くした」趣旨の証言をし、また「事件当日現場で見た人は幻燈会で見かけた人に似ているという感じがしていたが、事件後数日して警察で見せられた写真、及び面通しさせられた人も、幻燈会で見た人と似ていた。そして、その写真の人が岡本だと警察の人から教えられたので、以上を綜合して岡本が現場にいたと考えた」旨の証言をしているのである。従つて以上の点を綜合して考えると、徳富証人の被告人岡本に対する認識の基礎は、単に、その前年の夏、幻燈会で見かけた額の広い人というだけで、特別印象に残るような被告人岡本の当日の風態、或は行動を基礎とするものではなく、また被告人岡本が前年夏の右の幻燈会にでていたことを断定するに足る証拠もなく、同証人の供述は被告人岡本の確認の根拠についての確実性が乏しいという外なく、いわんや、同証言によるも、被告人岡本が甲斐巡査に対し、暴行を加えたことを確認することはできない。

次に、証人池岡一彦は弁護人の主尋問に対し「本件当日、電業社前で被告人岡本と会つた」と証言したものの、引続き同弁護人の尋問に対し「被告人岡本と会つたと述べたのは考え違いである」と、供述を翻えしているのであるが、訂正前の証言を以てしても被告人岡本が甲斐巡査に暴行を加えた事実は、之を認めることができない。

これらに対し、当の被害者である証人古川昭一は終始、判示の日時、場所において被告人岡本から足蹴りにされる等の暴行を受けた旨証言しているから、同証言が全面的な信憑力を有するならば、この証拠だけでも被告人岡本の犯行を認めうるわけである。しかし、同証人は検察官の主尋問に対し、被告人岡本を面識するに至つた機会につき「被告人岡本は、自分の担当区域に居住していたので、戸籍調べに同被告人方に赴いた際面識し、また同被告人方附近を通りかかつた時、同被告人が玄関に立つているのを見たこともある」旨証言したが、被告人岡本から同人の住居の位置、構造等につき詳細な反対尋問を受けるや、その答弁に窮し、事件当時被告人岡本を確認したことを首肯させるに足る合理的な説明を欠く結果となり、また、被告人岡本から「自分が昭和二十七年二月二十四日警察署において現場にいたかどうかで対決した時、証人は目を伏せたまま一言も言えなかつたではないか」との反対尋問に「当時のことは忘れた」とのみ答えたが、その際の被告人岡本の主張を反駁しきれなかつた証言態度を勘案すると、同証言に全面的な信憑力を措き難いのである。のみならず、一方、証人辻村武則の当公廷における、同証人は大田区糀谷町四丁目二番地で鋳造業を営む者であつて、昭和二十七年二月頃被告人岡本を事務員として雇用していたが、同年二月二十一日は「吹き」と称して、溶解炉で溶かした銑鉄を鋳型に流し込む作業をする日に当つていたで、その日は猫の手も借り度い位忙しく、現場の者も、事務の係りも総出で「吹き」の仕事に従事することになつており、当日は岡本も午前八時頃出勤し、午後は現場の「吹き」の仕事を手伝い、夜の九時か十時の終業まで引続き工場内で働いていた、旨の証言及び右証言における「吹き」作業中の多忙混雑を裏付ける当裁判所の右工場における検証調書、並びに同証言と同趣旨の被告人岡本の供述を比較対照すると、前記各証言の証明力は一段とその価値を減じ、被告人岡本の本件犯行を確認するに足らず、その余の立証を以ても同被告人の犯行を認めることができない。

次に、被告人張替についても、証人徳富清、同古川昭一の各証言中には、同被告人も十数名の者と共に甲斐巡査に暴行した旨、また古郡隆男の検察官に対する供述調書中には、同被告人が右犯行現場近くにいた旨の記載があるから、以上を綜合すれば同被告人の犯行を推認しうるようにも見受けられる。しかし、仔細に検討すると、証人徳富清は検察官の主尋問に対し「甲斐巡査に対する暴行者の中に被告人張替がいた」と、証言しながら、反対尋問を受けると、前言を翻えし「電業社前のデモ集会のあつた三、四日後に、蒲田警察署の刑事が二人自分方に来て四、五枚の写真を示し、その中にデモ集会において見かけた人の有無を尋ねられたので、頭の毛をボサボサにした写真(被告人張替の写真)の男をデモ集会で見たような気もする。その男は甲斐巡査が引きずられていく近くにいたが、その行動の詳細については目撃しておらない」旨答え、被告人張替の確認の根拠については、頭髪のボサボサ等の風貌の他は特段の理由もなかつたことが明らかであり、その電業社前で目撃したのは夕刻で、しかも短時間の出来事であることを考えれば、写真との同一性確認の確実性が十分であつたとすることは危険であり、したがつて、被告人張替が甲斐巡査に対し暴行を加えたことを確認するに足りない。また、古郡隆男の検察官に対する供述調書には、前記のように被告人張替が電業社前のデモ集会に参加しているのを見た旨の供述記載があるが、なお仔細にその供述を検討すると、同証人は被告人張替とは一面識もなかつた者であつて、検察官から同被告人の写真を示され、その戦闘的な風貌から同被告人が電業社前のデモ集会にいたことを想起した、という程度のものであるにとどまり、同被告人が甲斐巡査に対し暴行を加えた現場を目撃して、同被告人の印象を記憶にとどめたものでないことが明らかであるから、前同様に、右参加者と写真の者との同一性を確実に確認しえたか否かは疑わしく、同調書によつても被告人張替の犯行を確認するに足りない。只証人古川昭一は、終始被告人張替から暴行を受けたと供述しているのであるから、若し、同証人の証言が措信しうるものとすれば、被告人岡本についてと同様、この証拠だけでも被告人張替の犯行を認めることができるとしなければならない。しかし、右古川証人は被告人張替を面識するに至つた事情について、検察官の主尋問においては、被告人岡本と同様、戸籍調べに赴いた際である趣旨の証言をしたが、被告人張替の反対尋問の際には、最初は同僚から教えて貰い、その後戸籍調べで住居を知り、その他道路で数回会つたことがある、と供述している、ところが、被告人張替は当時被告人岡本光雄方に同居していたものであつて(起訴状記載の住居もそうである)右古川証人が戸籍調べで住居等を確認したとの点は、既に被告人岡本について論じたとおり、極めて疑わしく、また、その他の面識した理由として述べるところも、前示のように被告人岡本の反対尋問を受けた直後になされた被告人張替の反対尋問に答えたものであることを考慮すると、これまた、これを信用するに躊躇せざるを得ないものがあり、結局、被告人張替についての右証言も、これを全面的には措信し難いのである。一方村田いちの検察官に対する供述調書によると、同人方は品川区大井元芝町で空瓶商を営んでいる者であつて、その頃、被告人張替を三輪自動車の運転手兼空瓶洗いの手伝として雇用していたところ、昭和二十七年二月二十一日午前十時頃、同女の息子が急に浜松市に旅立つたので、午後は同女と被告人張替と二人で暗くなるまで空瓶洗いをして、それから午後六時過頃、うどんを取つて二人で食べ、その後しばらく話をして張替は帰えつていつた旨、の供述記載があり、右供述は記憶の根拠も相当程度明らかであり、被告人の当公廷の供述とも符合し(因に右村田いちの供述調書は、被告人張替に対する本件弁論の再開後始めて法廷に証拠として提出されたものである)前記のような証明力に疑点を残す各証言に対し有力な反証を提供するものであつて、結局、被告人張替に対する本件公訴事実も、その証明十分ならざるものと謂わざるをえない。

よつて、被告人岡本、同張替については刑事訴訟法第三百三十六条後段に則り、何れも無罪の言渡をなすべきものである。よつて主文の通り判決する。

(裁判官 岸盛一 目黒太郎 千葉和郎)

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